2009年1月23日金曜日

ぞうり と わらじ(後編)


前回では主に「草蛙(わらじ)」の特徴について触れました。
いかに草蛙(わらじ)という履物がワイルド&カルチャーショックなモノであったかはご理解頂けたと思います。
さて、所は江戸時代の京(京都)・・・。当時の都でした。当時の京は日本の中心で一番のお洒落タウンでありました。全国からたくさんの人が集まりますから、各地の文化達が渦を巻き様々な新しい文化が生まれた事でしょう。恐らく「衣」(ファッション)などの面でも最先端だった事でしょうね。(その辺りも聖書「バガボンド」ではリアルに描かれています。上の絵の人物は京の侍、吉岡清十郎殿です。やはり何処か、あか抜けてますね〜)事実、京の侍は特にお洒落に敏感だったようです。そして、何より、その彼らがこよなく愛した履物が「草履(ぞうり)」だったのです。(ちなみに上の絵の清十郎殿が履いているのも草履です)さて、物事には必ず理由というものがあります。特に無駄というものを(無意識に)嫌う当時の日本人にとっては、もちろんそこに(草履を選ぶ)理由が存在いたします。大きくは三つ上げる事ができます。
一つに、前編でも書きましたが、草蛙(わらじ)という履物は「足が汚れる」のが難点でありまして、洒落者の京の侍が嫌ったらしいです。そこで、鼻緒の位置を少し後ろにずらした草蛙(わらじ)の改良版である、足の指が外に出ない履物、「草履(ぞうり)」がブレイクしたというのです。
そしてもう一つ、侍達に草履(ぞうり)がもてはやされた理由に、「すぐ、脱げる」という点がありました。当時の侍にとっては日々、生死をかけて生きてます。いつ、何時、斬り掛かられるかわかりません。勝負は突然やってきます。(私など、つくづく今の世に生まれた事に感謝してしまいます)その時に、基本的裸足の民族である日本人にとってはいかに素早く、裸足になれるか・・という事は相当大事な事でしょう。裸足はすべりませんから・・基本的に。
(そんなシーンも聖書バガボンドにおいて、しっかり描かれています。下の絵。)そういえば、小学校の運動会においてのカケッコなど、みんな裸足で走ってましたよね。私も誰に言われるとなく、自然に裸足で走ったものです。今、思えばあれは、日本人としてのHadashi daisuki DNAが自然とそうさせたのでしょう。話はそれましたが・・・要するに、すぐに裸足になれる草履(ぞうり)という履物が侍達の勝負を左右したのは言う迄もありません。
そして、最後にもう一つ・・・
草履(ぞうり)という履物は草蛙(わらじ)よりルーズに履く事ができます。ぺたん・・ぺたん・・と・・その「粋な感じ」が洒落者である京の侍達にウケたらしいです。
・・・・・・。
これで、草履と侍の密接な関係はわかっていただけたかと思います。
まぁしかし、そもそも草履(ぞうり)と草蛙(わらじ)は同じ鼻緒の履物ですが、用途が違う履物です。用途に応じて使いわけたのだと思います。

草履(ぞうり)と草蛙(わらじ)・・・
違いがわかっていただけましたでしょうか?
しかし、思うのですが、こんな常識はちゃんと義務教育の過程の中で教えてほしいものです。
大人になってから恥をかきます。(例えば外人さんに、zouri to waraji no chigai wo osietekudapsyと聞かれた時など・・)

これからも、平成の侍達に草履を作っていきたい・・・そんな所存でございます。

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