2010年4月8日木曜日

読書の鬼

読書の鬼・・・なんていい感じの鬼なのだろうか。
想像しただけで強そうで、真面目な感じがよい。眼鏡なんてかけてたら尚更。
しかし、鬼。である・・。

最近の私の愛読書は「戦国の鬼ー森武蔵ー」という本であった。(先ほど読破したので過去形を使う)織田信長の嫡男、信忠に仕え戦国の最も激しい時代を生き抜いた武将の話であった。

「 また、いた・・・。 こんなヤツが・・・。」

と言うのが、読み終わった後の感想である。
最近、ずっと信長公(以下、上様と呼ぶ)に関する本ばかり読んでいて、大体の流れはつかんだ。そして、つかめばつかむほど、上様はすごい男だと実感するのである。当時、自分だったら上様と目を合わす事もできなかったであろう。まぁ、上様に会う事など絶対に出来なかったはずであるから、そんな心配はいらないが。とにかく、上様は日本という国を良き方向に導こうとされた最初の人物であった事には間違いなさそうである。
日々、テレビに映るこの国の今の指導者達を見る度に、今の日本には上様の様な男が必要なのではなかろうか?とつくづく思ってしまう。
そんな上様と対等に接し(厳密に言えばもちろん対等ではないが)、上様が最も信じ、愛した男がいる。森蘭丸。森武蔵の弟である。蘭丸は上様に小姓として仕え、いつも上様の側を離れず上様の言葉を代弁するほどの人物であった。しかし、まだ15歳なのである。これまたすごい男である。15歳やで・・15歳。
最終的には本能寺において上様共々、討ち死するのであるが・・・。
蘭の花のように美しく(実際、絶世の美男子だったようである)花のように散って行くこの蘭丸という男に私は深く興味を抱き、その兄の本を読む事で、蘭丸をより、知ろうとした。しかし、読んでいくにつれ、この森武蔵という男に逆に魅了されていく・・・。誰よりも清く優しい心を持っていながら、戦いという生き方しか知らず、自分の家族、部下の家族を守るためには女子供でも殺す「鬼」になるしかなかった森武蔵。そして自分だけが「鬼」になる事によって、部下達を決して「鬼」にさせなかった森武蔵。彼の器のデカさ・・・
そして真っすぐさには感服せざるを得ない。今風に言い換えれば、
「バリしぶ!」な男なのである。

そんな男がいた事など今まで知らなかった。学校の授業には名前も出て来なかった。(と思う)しかし、今、知った。
だが、もうちょっと早く知っておけば良かった。と心から思う。
是非、若いみんなに若いうちに読んで、知っていてほしいとも思う。
知識の一つとして。

時代は戦国ではない。
もはや森武蔵のような「鬼」はいらない時代である。

だから、私は読書の「鬼」になる。

2009年7月5日日曜日

「速く動こうと考えるな、速いと知れ」

「What are you waiting for? you're faster than this. Don't think you are. You know you are.」
(速く動こうと考えるな、速いと知れ)
この言葉は、私の人生とって最も影響を与えた映画である「MATRIX」の中での、モーフィアスの言葉である。自分の「力」を完璧に信じきれず、完全なる覚醒をする事が出来ない主人公ネオに対して発せられた言葉である。この言葉は私の人生において、実に色々な場面で頭に浮かび、私を助けてくれた言葉でもある。頭であれこれ考える前に、まずは「出来る」と信じる事。そして「出来る自分」を「知る」事。言葉で言うのは簡単ではあるがとても難しい事である。「出来る」と信じる事は何となく出来る。しかし、「出来る自分」を「知る」事とはとても難しい。今までそこまで行けた事はただの一回、踊っている時に・・・だ。

出来るか出来ないかを決めるのは周りの環境などももちろん左右するが、「自分」が決めるのである。最初から出来ないと思っていれば、絶対に出来ない。出来るはずも無い・・出来ると思ってないのだから・・まずは「出来る」と心から思う事。そしてそれを信じる、疑いの無い強い気持ちを持ち、出来る事を知る事。
ならば不可能なんてこの世には無い・・と言う事になる。私はそれを信じる。私の今までの人生、不可能で終わってしまった事柄などは星の数ほど多くあった。そしてこの言葉に出会い、今はっきりと言える。不可能で終わってしまった事柄は恐らく自分の「力」を完璧に信じきれて無かったのであろう。と。そこには必ず「諦め」と「妥協」があったはずである。
良くするのも悪くするのも、自分次第。自分の事を信じきれない自分だからこそ、この言葉を念頭に置き、不可能を可能にしていこう。と思う。のですが・・・

2009年4月13日月曜日


突然ですが・・・

私の創っている草履は、タイプが大きく分けて3種類ございます。
http://homepage3.nifty.com/zoriya/products.html
基本であるPRODUCT 1を軸に、鼻緒の素材を蛇皮で創るPRODUCT 2、素材である七藺草を黒色に染めたPRODUCT3があります。
PRODUCT 2、PRODUCT 3の鼻緒には蛇皮(パイソン)を使用するのですが、蛇皮っていつも、もの凄いパワーを感じるのです。(単純に触っているだけで手が軽く痺れてきます・・何か他の病気?)牛革、豚皮には無い、何か別の種類のパワーがあるように想えます。
爬虫類が持つ、無機質で冷徹な感じ・・少々大げさですが、恐怖に近いモノも感じたり・・・。
かつてはこの地球上に君臨していた爬虫類。そのプライドがクールな魅力をかもし出し、私を魅了するのでしょう。
そして何より、蛇は「神」の使い。「神」という言葉に非常に弱い私などのような者は、その事を考えただけでも、扱う時軽くびびってしまいます。心の中で「失礼します」を繰り返し、草履に編み込んでいくのですが、何度やっても(作っても)この緊張感には慣れません。
しかし、その分出来上がった時のかっこよさは格別なモノがあります。

何なんでしょうね?? このかっこよさは・・・ロックを感じずにはいられません。
蛇・・・これほどまでに草履に似合う動物はいないように想えます。

「蛇様、これからもよろしくお願いいたします」

2009年4月10日金曜日

エゴロジー

ここ最近の「エコ」ブームも、いつの間にかすっかりビジネス色が強くなってきましたね。
各企業こぞって「えこえこえこ・・・」もはや「エコ」と言っていればモノは売れる。そんな時代になってきました。「エコ」と言っていれば何割増しか、おりこうさんに見え、優良企業のイメージがつきやすい。実にいい作戦だと想います。(エコ草履に名前変えよかな・・)
人間が生きて行く上で、もはや絶対に必要なモノになったしまったエネルギーに関してはこれから大きなシフトチェンジが来るでしょうね。間違い無くそこはビッグビジネスになるはずで、お金に飢える人間にはたまらない世界が広がっているはず・・・
最近ニュースでやってましたが、政府もこれからハイブリッド車を購入する方には最大25万円のキャッシュバックを行うとか・・・一見政府が二酸化炭素問題に真剣に取り組んでいるように見えますが、自動車メーカーからの巨大な圧力も見え隠れしますね。(基本的に政府は大企業に逆らえませんから・・お金いっぱいもらってるし。)
しかし、プリウスにはなるべくなら乗りたく無い私のような人間や、新車などとてもじゃないけど買えそうに無い私のような人間には関係の無い話です。本当に真剣に二酸化炭素の問題を考えるなら、なぜ、「高速道路1000円均一」などするのでしょうか?そのことにより車での移動が増え、土日の二酸化炭素の排出量は断然増えた事でしょう。言ってる事に一貫性が無く、笑ってしまいます。(笑)
さて・・
ところで、地球温暖化を引き起こす二酸化炭素・・・しかし、一説では(私はこの方が定説だと想える)二酸化炭素の影響は余り関係ないらしく、単純に太陽の力が強くなっている事が原因だと言います。もしそれが事実なら、二酸化炭素が何もしゃべらない事をいい事に、誰かが二酸化炭素を悪者にして金儲けをしているとしか想えません。二酸化炭素ビジネス。(ろ◯ちゃいるど・・・目の付けどころが違います)

まぁしかし、地球を大事にしようと想う気持ちを持った人間が増えた事自体は非常に「エコ」な感じがしていい事だと想います。
私としては本当の事が知りたいだけです。これからも色んな方向からの視点を持ち、インフォメーションを得、自分なりのインテリジェンスを持てる様に心がけよう!と想う今日この頃・・・


最近、私なりの「エコ」として、ぶらさがり健康機を買いました。
( 違うか?!)


2009年3月31日火曜日

スピリチュアルマインド

最近はゲリーの影響ですっかりスピリチュアルマインドに戻っている私です。
しかし、スピリチュアルマインドも困ったものでありまして、春の陽気も手伝い、気を抜けば「ぼけ〜っ」と、してしまいます。いかん、いかん・・・まだこの世は「分離(セパレーション)」の時代。と、自分に言い聞かせ・・・現実、仕事もしないといけないので、二元性の中スピリチュアルを楽しんでおります。

あれからまた何冊かスピリチュアル本を読みました。
(徳間書店の五次元文庫、ヤバイです)

その中のゲリーの言葉に、こんなのがありました・・・
「人間の凄い所は、無限の大きさを持つ(意識)という巨大なエネルギーをこの小さな体(器)にとどめていると言う事です」と。
そんな方向から、この件を考えた事が無かった私はその言葉に大きなショックを受けました。そして気が付けば目をつむっていました・・・。
真っ暗な瞼の裏側に広がる暗黒は正に宇宙そのものの様な気がしました。その暗黒は無限の広さを持ち、想うがままでありました。何処にでも行けたし、何にでもなれました。
こ、これがゲリーの言う、意識とは無限の広さを持つという事なのか・・と、勝手に解釈。改めて無限を実感できた瞬間でありました。

そして、何よりこれは全ての人間に言える事。老若男女、年齢問わず・・だから凄い!
言い方を変えれば、全ての人間はこの小さな体に全員、宇宙を持っているという事。(あの、果てしない巨大な宇宙が、この身長165センチの私の体にも入っている・・・お〜まいが〜)
そんな風に想いながら街を見回してみると、またまたおもしろい。いっぱい宇宙達が歩いています。ミクロはマクロ。マクロはミクロ。何だか嬉しくなりました。単純に・・・
「大きさ」というモノを勝手に決めつけているのは自分自身なんですね・・・

今後、「身長何センチ?」と聞かれたら、(もはやあまり聞かれませんが・・)
「本当は果てしなく無限に近いが、取り急ぎ165センチの体に入ってます」と答える事にしよう・・・。

2009年3月28日土曜日

2012

先日、久しぶりに、本屋の「精神世界」コーナーに行ってみた。
最近のスピリチュアルブームの影響か、数多くの怪しい本が並んでいる・・・(この怪しさが好きなのよ・・)
その中でも特に「2012」をキーワードにする本の多さにびっくりする。
「2012年まで、あと3年か・・・」と改めて心に言い聞かせる。この「2012年」というキーワードに始めて出会ったのは今からちょうど10年位前だ。ゲリーボーネルという人が書いた「光の十二日間」という本があった。この本との出会いは当時の私の思考を遥か宇宙の彼方にぶっ飛ばすほどの力を持っていた。180度考え方が変わり、生き方の道しるべとなって、今の私を創ってくれている。その本のテーマが正に「2012年」であった。

簡単に言うと、人類の意識は2億年前(2億年前って言ったら、恐竜時代でっせ!)からこの地球に存在していて、1万3000年という時間(期間)ごとに「合一(ユニティ)」と「分離(セパレーション)」という時代を繰り返している。というもの。もちろん現在は「分離(セパレーション)」の時代。私は私。貴方は貴方。という時代である。決して、全てが一つ!という時代では無い。そして、なんと、現在、今、は1万3000年続いて来た、「分離(セパレーション)」という時代の終わりの地点だという。だから、ゲリーボーネルは言う。間もなく「合一(ユニティ)」という今迄と全く違う、光の時代が来るので、それに備えよ。と。(そのシフトチェンジにおけるパワーが一番強まる時が、2012〜2013年だという)
何と、ドラマチックな話なのだろうか・・・当時、マヤの暦にハマっていた私は、一気にのめり込んだ(マヤの謎ともリンクしていた)

あれから10年・・・あと3年となった現在。正直なところ、期待と不安が入り交じる。
この時代(分離)しか知らない私にとっては、この時代は故郷であり、全てである。確かにこの世は納得できない事、信じられない事も多くある。しかし、善と悪があり、光と影があるこの世界。まんざら悪くない・・・そんな想いにかられていた近頃であった。

そんな事想いながら、本を見ていると、輝く一冊の本があった。
「新・光の十二日間」と書いてある。(マジですか〜!!)早速、購入。
新たにわかった情報などが加えて書いてあった。改訂版である。
しかし相変わらず、ぶっ飛ばしてくれます。宇宙の果てまで・・・
また新たに、光もいいね〜と想い直す。(単純・・)

本当にその時が来るのかはまだ誰にもわからない。しかし、この本を読んでいた。のと、読んでいなかった。のでは、大きな差が出るのは間違い無い。信じられない事、聞いた事の無い事、学校で教えてくれなかった事が数多く書かれています。とりあえず読んでおくにこした事は無い。
そして、今回、こんな事が書いてあった・・・
「光の力が強まると、闇の深さも増す」と。
まさに現在の世界情勢ではありませんか・・・

せっかくですから、全ての愛する者、全ての愛する仲間達と行ってみたいと想う今日この頃・・・

しかし、おとんとおかん、大丈夫かな・・・

2009年3月24日火曜日

テレポーテーション

「 五百万光年の彼方にある惑星マルディック。二つの月を有する、青緑に輝くその惑星には、どうやら大気も存在するらしく、雲が見受けられる。生命の源である水が存在すると言う事だ・・。青緑で二つの月があると言う事以外は本当によく地球に似ている・・。」

これを読んだ時、みなさんの頭の中にはマルディックのイメージが浮かんだ事だろう。宇宙の闇に浮かぶ二つの月を持った、青緑の惑星マルディックを・・・。光の速さでも五百万年かかるその場所に、イメージ(想念)だと、一瞬で行ける。実は光よりも速いモノが存在する。それが「想念/想い」である。想いは自由であり、無限であり、無料である。

私は最近、この想念という力の存在が気になり、よく考えるのである。
しかし、想念というモノも、ただ想うだけではなかなか現実になりにくく、現実にならないものは実感がわかないモノである。そこで想うのだが・・恐らくそこには「信じる」という力が必要なのではなかろうか??「想い」に、強く「信じる」力がミックスされた時・・・それは「現実」になって現れる。

話は変わるが・・・
それを実感したのが、今日のWBC決勝でのイチロー選手のヒット(延長での)。
日本中から、遥かアメリカへ注がれた数百万の「想い」と、彼への「信じる」力が最高の現実を生み出した。彼は最後のインタビューで、「神が降りて来た」と語った。その「神」こそ、皆の想念の塊だったのではなかろうか・・・


私達は何処へでも行ける。はず。