2009年1月28日水曜日

住に想う。

怒濤の三部作もこれで一応完結です。
言葉が足りない面、知識が足りない面、片寄り過ぎている面は何卒ご了承ください。

さて、今回は「住」についてたらたらと書こうと想います。
「衣」「食」「住」の中でも、「住」の役目とは人間にとっての「やすらぎ」を与えてくれるものではないかと想います。日本人にとっての「やすらぎ」とは、他の国には無い独特のモノがあるように想われます。私は日本のやすらぎとは、「静」だと想っております。「静」の中にある、空虚感と言いますか・・私はそこに日本を感じてなりません。(お寺、神社に漂う、あれ・・です。)不思議な事に、そのような場所では自然と背筋が伸び、姿勢が良くなっている自分に気づきます。そして・・心が落ち着くのです。

例えば、畳。
(新しい畳表から香る藺草の香り・・やられます・・・)
日本には「畳の上で死にたい・・」という言葉があるくらい、畳と日本人は密接な関係がありました。(私の子供の頃は、まだ畳の部屋というものは多かった記憶があります。)畳とは、藁(わら)の芯(現在は発砲スチロール!!)に藺草のござをかぶせたモノ。床の素材に草を使っているあたり、なんとハイセンスな民族なのでしょう。夏は涼しく・・冬は暖かい・・ここにも日本の「流石」を感じます。
しかし、残念な事に、もはや畳の存在は飾りに近いモノになっています。それの主な原因は畳に取って代わり、「フローリングという板張り床」が主流になってしまったからです。そもそも、「フローリングという板張り床」は、靴で部屋に上がる外人さん達のもの。それを知らずに、ご丁寧に靴を脱いで上がっている日本人は、外人さんから見ればとてもこっけいに見えるはずです。実は、私の実家も、今の部屋も「フローリングという板張り床」の部屋があります。もちろん、いつもご丁寧に草履を脱いで上がっています。昔から、個人的には好きじゃなかったですね〜。なんか、冷たいし、ホコリも目立つし、
ましてや、よちよち歩きの赤ん坊にとっては命懸けの床であります。(こけて、頭打ったら死にますよ!)なぜ、「フローリングという板張り床」なのか??? 何度も理由を考えましたが、納得できるモノは見当たらず、恐らく、「フローリングという板張り床のほうが、なんとなく、お洒落じゃん」という事だけ、だと想うのです。
そもそも、昔から受け継がれてきた「畳」にはこの日本という国の「住」文化が詰まっていると言っても過言ではないと想います。この国の気候風土を考え、それに合ったものだから、代々それほど形を変える事無く、受け継がれてきたのだと想うのです。そして何より、日本人は畳に「座る」事で「やすらぎ」を感じていたのだと想います。

たかが畳・・されど畳。
私はここに日本の「住」の根本を感じます。

もう、無理をする時代は終わりました。
私達には私達にあったモノがすでに存在しています。
そしてそれらには受け継がれて来た「理由」が必ずあります。

そして最後に、麻生さん・・・
より良い日本を作りたいのなら「文化」をまず見直し、そして立て直す。
視野を広く持ち、未来に目を向けてください。この混沌とした日本を救えるのは「文化」しかありません。そして、「文化」とは、その国の宝でございます。

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2009年1月27日火曜日

食に想う。

はっきり言って、グルメでもなく、大変「食」にウトい私などが、世界一の「日本の食」に対し何を想うのか?実はそんなに想う事も言いたい事もありません。と言うか何も言えません。
ただ、毎日「米」を食せる事に感謝するだけであります。
なので・・最近気づいた事をたらたらと書こうと想います。
さて、日本の食と言えば、米。
米と言えば、めし丸くんなのであります。
(ちなみに、めし丸くんは福岡のJA全農のマスコットキャラクターであり、私が思う所の現在最強の癒しキャラでございます。わが町福岡においては連日、めし丸くんがブラウン管(最近は液晶テレビだから、もはや死語ですね)に登場しない日は無いくらいの人気者です)
彼との出会い(テレビの画面を通して・・)で私は白米の有り難さを改めて痛感させられました。日頃、当たり前の様に食している「米」。それも白米です。よくよく考えてみると、江戸時代(またかよ!)などにおいては、庶民は粟(アワ)、稗(ヒエ)、麦などの穀物(最近では逆に流行ってますね。スローライフな方々に)をメインに食し、たまにそこに米が入る・・・という、とても質素な(今と比べるとね)食生活をしていたと聞きました。当時、毎日のように白米を食せたのは恐らく、殿様か大名などの偉い人に限られていた事でしょう。

と・・言う事は・・・
今の日本人のほとんどの人が、当時の殿様と同じか、
もしかすると・・それよりもいい米を食せていると言う事になります。(おぉっなんと贅沢な!)
更に言い方を変えれば、米に関しては、「みんな殿様」。と言う事になります。
実に、鳥肌ものですね。自分が知らず知らずのうちに殿様レベルであったなんて。信長・・秀吉・・家康と肩を並べられる時が来るとは・・・
この気づきによって、白米を食せる喜びが更に増しました。

話は変わりますが・・・
日本人って江戸時代まで四つ足(牛、豚など四本足の獣)は食べなかった民族です。
肉といえば、魚か鶏。なんだかヘルシーな感じですね。理由は知りませんが、日本人に合っていたのでしょうね。もちろんそれに伴った進化をしてきたわけですから(胃や腸など)、文明開化と共に入って来た牛肉や豚肉には最初、びっくりした事でしょう(胃や腸が)。今迄日本人には無かった病気も増えた事でしょう。しかし・・・
もはや、世界の食文化交流は無限に等しく、日本人だけに限らず世界中の人達も色んな国の食生活を味わえるようになっています(先進国だけだと思いますが)。それはそれでいいと想います。「食」への欲求は動物の本能ですから・・・その中でも今、とても注目されているのが、「日本食」なのです。マクロビオティック(日本の精進料理をベースにしたベジタリアン料理)などの流行(スローライフな方々の間での)による「日本食」への見直しは流石、日本の食!と思わせる一つの要因でありました。本来、その土地で住む人間にはその土地で採れるものを食する事が一番無理が無く、自然の流れにあった事だったはずだ。と、想います。が・・・。

うまい米を食せる時こそ最高に至福の時であり、天下を取った気持ちになるのは私だけでしょうか???


追伸:
先日、親愛なる友人より、あるご指摘がありました。
当時(江戸時代)の日本人は白米では無く、玄米を食していたと言う事実・・・
やはり、「食」に関しては何も言えませんです。

ちゃん、ちゃん・・・。

2009年1月26日月曜日

衣に想う。

「衣、食、住」。
小学校の時に習った、人間の営みにとって最も大事とされる事柄です。よね。
それらには、それぞれの国の土着の文化が大きく反映されており、その国々の持つ気候風土や歴史などの積み重ねにより、進化してきたものです。まさに「文化」そのものです。の、はずです。が、今日の日本という国の「衣、食、住」を見直してみますと、この100年位の間で大きく方向性を変え、もしくは無くなったり・・・今、日本の「衣、食、住」は非常に危険な状態に陥っていると思います。言い方を変えれば、日本の文化の危機だとも言う事ができます。
そこで、今回は「衣、食、住」のうちの「衣」についてたらたらたらたらと書こうと思います。
「衣」・・・。
無くては困ります。寒いです。死んでしまいます。もちろん「衣」には寒さを防いだり、と、身を守る役目があります。しかし、それだけではありません。人間達はそこに「遊び心」を加え、文化にしてしまいました。先にも書きましたが、そこにそれぞれの気候風土が影響し、それぞれの美意識がプラスされ、様々な「衣」が生まれたのだと思います。それぞれの人種にあったものが代々受け継がれ、時代と共に進化していきました。日本にも「キモノ」と呼ばれる「衣」がありますが、今や誰も着ていませんし、着かたすら知りません。冠婚葬祭(冠婚葬祭って、その国の文化を十二分に出すものですよね)においても、もはや背広(スーツ)、ドレスが当たり前で、結婚式には白のネクタイ・・お葬式には黒のネクタイ・・と、よく考えるとワケのわからない常識にしばられているのが現実です。大体において、日本と言う国のフォーマルはキモノであります。背広にネクタイではありません。いつからこんな事になってしまったのだろう・・・歴史を辿れば、恐らく明治の文明開化で始まり、終戦後の「アメリカ」の侵入によって更に加速されていったのでしょう。先日、テレビにおいて、ある芸能人が、久しぶりにスーツを着たという事への感想に、「やっぱ、スーツは気が引き締まる!」と言ってましたが・・・私は内心、気が引き締まっているのではなく、ネクタイで首が締まってるんじゃないの〜と、思ってしまいました。
ちなみに私は西洋文化否定派ではありません。むしろ肯定派であります。
ただ、ただ、思うのは、日本の美しく素晴らしい・・世界一の「衣」の文化が失われていく事が残念なだけです。
まずは天皇陛下に、是非、フォーマルの場において毎回キモノを着て頂き、国会のおじさん方も(クールビズとかいって、わけのわからない半袖の背広を着るのではなく)皆、キモノで予算委員会に参加して頂き、サッカー日本代表も遠征時は皆、キモノ・・・(おぉ・・想像するだけで、気が引き締まりますな〜)教育の場においては「着付け」を義務授業のカリキュラムに入れる。(着付けが出来ないと大人になってから本気で恥をかきます)キモノがもっと自然になる事で、職人達も増え、扱う業者も増える(雇用も増える)→値段も下がる。そして何より、草履の発注も増える・・・。(私事ですが・・・)そんな気がします。
もう、無理をする時代は終わりました。外人さんにならなくていいのです。
昔から日本人には日本人に最も合う「衣」が存在しているのです。
私達は、手足が短く、頭、顔がでかい日本人なのです。(最近の子供達はアメリカの食文化のおかげで、体はアメリカンになって来ていますが・・・)
これからは、世界屈指の文化と歴史を持つ日本人として誇りを持ち、逆に世界に発信していくべきです。それには、まず、日本人自身が日本に興味を持ち、それを受け継ぎ、伝えていく事を忘れてはならないと思う今日この頃・・・なのですが・・・

2009年1月23日金曜日

ぞうり と わらじ(後編)


前回では主に「草蛙(わらじ)」の特徴について触れました。
いかに草蛙(わらじ)という履物がワイルド&カルチャーショックなモノであったかはご理解頂けたと思います。
さて、所は江戸時代の京(京都)・・・。当時の都でした。当時の京は日本の中心で一番のお洒落タウンでありました。全国からたくさんの人が集まりますから、各地の文化達が渦を巻き様々な新しい文化が生まれた事でしょう。恐らく「衣」(ファッション)などの面でも最先端だった事でしょうね。(その辺りも聖書「バガボンド」ではリアルに描かれています。上の絵の人物は京の侍、吉岡清十郎殿です。やはり何処か、あか抜けてますね〜)事実、京の侍は特にお洒落に敏感だったようです。そして、何より、その彼らがこよなく愛した履物が「草履(ぞうり)」だったのです。(ちなみに上の絵の清十郎殿が履いているのも草履です)さて、物事には必ず理由というものがあります。特に無駄というものを(無意識に)嫌う当時の日本人にとっては、もちろんそこに(草履を選ぶ)理由が存在いたします。大きくは三つ上げる事ができます。
一つに、前編でも書きましたが、草蛙(わらじ)という履物は「足が汚れる」のが難点でありまして、洒落者の京の侍が嫌ったらしいです。そこで、鼻緒の位置を少し後ろにずらした草蛙(わらじ)の改良版である、足の指が外に出ない履物、「草履(ぞうり)」がブレイクしたというのです。
そしてもう一つ、侍達に草履(ぞうり)がもてはやされた理由に、「すぐ、脱げる」という点がありました。当時の侍にとっては日々、生死をかけて生きてます。いつ、何時、斬り掛かられるかわかりません。勝負は突然やってきます。(私など、つくづく今の世に生まれた事に感謝してしまいます)その時に、基本的裸足の民族である日本人にとってはいかに素早く、裸足になれるか・・という事は相当大事な事でしょう。裸足はすべりませんから・・基本的に。
(そんなシーンも聖書バガボンドにおいて、しっかり描かれています。下の絵。)そういえば、小学校の運動会においてのカケッコなど、みんな裸足で走ってましたよね。私も誰に言われるとなく、自然に裸足で走ったものです。今、思えばあれは、日本人としてのHadashi daisuki DNAが自然とそうさせたのでしょう。話はそれましたが・・・要するに、すぐに裸足になれる草履(ぞうり)という履物が侍達の勝負を左右したのは言う迄もありません。
そして、最後にもう一つ・・・
草履(ぞうり)という履物は草蛙(わらじ)よりルーズに履く事ができます。ぺたん・・ぺたん・・と・・その「粋な感じ」が洒落者である京の侍達にウケたらしいです。
・・・・・・。
これで、草履と侍の密接な関係はわかっていただけたかと思います。
まぁしかし、そもそも草履(ぞうり)と草蛙(わらじ)は同じ鼻緒の履物ですが、用途が違う履物です。用途に応じて使いわけたのだと思います。

草履(ぞうり)と草蛙(わらじ)・・・
違いがわかっていただけましたでしょうか?
しかし、思うのですが、こんな常識はちゃんと義務教育の過程の中で教えてほしいものです。
大人になってから恥をかきます。(例えば外人さんに、zouri to waraji no chigai wo osietekudapsyと聞かれた時など・・)

これからも、平成の侍達に草履を作っていきたい・・・そんな所存でございます。

2009年1月22日木曜日

ぞうり と わらじ(前編)



前からいつか書こう書こうと思っていた事なんですが、
今回は草履(ぞうり)と草蛙(わらじ)の違いについてを 私にとってのバイブルである「バガボンド」(細かい所まで、非常に良く描かれています。)を参考にお教えしようと思います。
昔、私の師匠(草履の)がぽつりと呟きました。「今の日本人は草履(ぞうり)と草蛙(わらじ)の違いも知らない・・」と。そう言われて、私としてもはっきりと違いがわからない自分に始めて気づきました。そしてあせりました。草履の道を志す者がそんな事も知らないのでは話になりません。早速、草蛙(わらじ)を購入しました・・・。
見た目大きな違いには、草蛙(わらじ)にはヒモがついています。(そのヒモを足首で縛り上げ固定します。そうする事によって走る事も可能になるわけです。)そしてもう一つ、鼻緒(はなお)の付いている位置(つま先側)が違います。わらじは本体の一番先端の部分から鼻緒が立ち上がっているため、履きますと・・なんと、足の指全てが外に出る仕組みになっているのです。(上の絵でも正確に描かれています)それがどういう意味なのか・・現代のへたれ日本人の私には理解に苦しみました。
要するに、昔の日本人は足の指を外にさらけだし、足の指で大地を踏みしめていたと言う事です。(そう言えば幕末の小説などを読んでいると、諸国を旅する志士達が宿に着くとまず足を洗う。というシーンがよく出て来ます。足は特に汚れたんでしょうね。)しかし、日本人とはなんとワイルドな民族なのでしょうか?足の指をスパイク代わりにしていたとは・・・
しかし昔とは道路事情が全然違いますから(今はアスファルトですから)、現代では支持されないのもわかります。(はっきり言ってケガします)そしてもう一つ、その素材。藁(わら)を使ってますから、壊れたら、そのまま捨てる事ができます。肥やしになるんですね。まさにこれこそ「えこ」ですね。無駄が無い・・・さすが日本。です。

後編では「草履と侍」について語ろうと思います。

2009年1月21日水曜日

漢湯



昨日は湯治のため、佐賀にあります武雄温泉に行って来ました。
この温泉、近場の中では最強の温泉であります。(当然の源泉掛け流し)歴史も古く、かの太閤(秀吉)様も絶賛したと言われています。施設内に何種類かお風呂はあるのですが、何と言っても「元湯」が最高です。(入浴料300円)六畳くらいの大きさの湯船が二つあり、「ぬる湯」と「あつ湯」に分かれています。その「あつ湯」・・・。めっちゃ熱いです。気合いを入れて入らないと、火傷してしまいます。ゆっくり・・ゆっくりと・・目をつむりながら・・静かに・・そして素早く、湯船に沈んでいきます。首までしっかりつかった後は、もうそこには「我慢」しかありません。肌を突き刺す熱さに耐える事・・。忍耐。まさに男湯の中の男湯です。
そして、そこは田舎の温泉らしく、近所のおじさん達もいつも沢山いらっしゃってまして、皆で「ぬる湯」に入りながら楽しそうにおしゃべりなどをされてます。(いつもあつ湯はガラガラです)そこへよそもんの私が入って来、脇見もふらず「あつ湯」に入るものですから、おじさん達の「漢湯魂」に火がつくみたいでありまして私につられ「あつ湯」への引っ越しが始まりだし、知らぬ間に「あつ湯」において「我慢くらべ」が始まるわけです。(あつ湯は俺達のものだ!的な・・)普段、へたれな私ですが、今迄この勝負にだけは負けた事がありません。こんな事でもやってないと、「あつ湯」に長い時間入っていられないと言うのが正直な所ですが・・・とにかく今、「あつ湯」に入っている全てのおじさん達が出るまで出ない!
出る頃には頭はクラクラ・・心臓バクバク・・体は真っ赤っか・・・
しかし、体がシャキッっとなるのです。これがたまりません。
勝負が終わり、体も温まり・・ボーっとしていると、先ほど勝負していたおじさん達も私に心をゆるしてくれたみたいで「おにーちゃん、どっから来たんや?」などと話しかけてくれます。そんなあったかい・・というか、「熱い!」武雄温泉・・・最高です。
そして何より、冬の温泉あがりで履く草履・・・これがまた気持ちいいんです。(これが言いたかっただけなんですが・・・)



2009年1月14日水曜日

拝啓、めし丸様。



寒い日々が続きますが、世のニュースも日々、寒いモノが多いですね。
連日「不況」を告げるものばかり・・派遣切りによる派遣ギレ・・・タクシー強盗、などなど・・
なんだか暗い気持ちになる情報ばかり・・・DEATH。
しかし思うのですが、今の日本、本当に「不況」なのでしょうか?
「不況・・不況」とは言いますが、今迄のどの時代の、どの生活水準と比べているのだろう???まさか、あのバブル全盛期を基準にしてるんじゃないでしょうね!?あれは(私はバブル時代を体験しましたが・・)夢だったんです・・・人間という生き物は、一度いい思いをしてしまうと、感覚が麻痺してしまうようで、それまでは「贅沢」とされていた事柄も、それを一度手にしてしまうと「当たり前」に変化し、また次の「贅沢」を追い求める・・・贅沢の螺旋は「金」が無くなるまで続いていきます。
しかし、今の日本人のほとんどが、屋根のある家で暮らし、服を着て、三食しっかりメシを喰えてる・・それも白米・・・。江戸時代の庶民から見れば、なんて「贅沢」な暮らしなんだ。と思われるでしょう。
今、「当たり前(平凡)」とされているモノをもう一度見つめ直し、それに「感謝」すれば、「当たり前」が「贅沢」に変化します。

最近、白い米を食せる事の幸せを つくづく感じとります。
だよね!めし丸くん!

2009年1月9日金曜日

おじさん

本日は十日恵比寿に参ってまいりました。
実は私、今回始めて十日恵比寿という、「商売繁盛祈願」最強のイベントを体験致しました。
今迄は恐らく、自分が商売人である。という自覚に乏しかったのだと思います。今年はその辺、気合いが違います(例年比)。商売の神様(恵比寿さん)に心から祈願する事ができました。
しかし、恵比寿神社・・それも十日恵比寿。他の神社とは全然違う雰囲気とオーラを感じました。参拝にもすでに長蛇の列。もちろん私もその中に入り、順番を待ちました。ゆっくりと動く列の波に身を任せ、静かな気持ちの中、「今、この寒空の中自分と同じくここに並んでいる人達は皆、何かしらの商売をしてるんだろうな〜」などと思いながら・・・

ふと、気づきました・・・。
見ているとこの十日恵比寿では、(並ぶ事に関して)横入りする人間もいなければ、文句を言ってる人間もいない・・・皆、商売の神の前ではとてもおりこうさんなのです。(自分もしかり)この不景気の世の中が皆をより、おりこうさんにするのでしょう。(自分もしかり)周りのマナーがいいから並んでいても、とても気持ちいい時間を過ごすことができました。

しかし寒い・・・。今日は・・。
と思って、ふと、参道沿いに並んでいる「金魚すくい」の看板を見ると、「 夏の思い出に、金魚すくい」と書いてある。
「 夏 」・・・?。だったっけ・・・???
まあいいです。そこまではっきり言われたら何だか暖かくなってきました。

ありがとう金魚すくいのおじさん・・・
おじさんのお陰で心も体も暖かく、参拝する事ができました。

「恵比寿さん、今年も何卒よろしくお願いいたします(祈り)」


追伸:
えっ・・?!今日10日じゃないの??今日が9日だってこと今、知りました・・・
例年より1日気が早い・・・。それ位で調度いいでしょ。


2009年1月7日水曜日

突然ですが・・
草履の芯となるのが、「縄」でございます。
「織り」で言う所の縦糸にあたります。この「縄」がしっかりしたものであれば、しっかりとした草履になり、弱いものだと、弱い草履になってしまいます。草履の良い悪しを左右するのが「縄」と言っても過言ではありません。草履を作る上で、一番最初に行う作業が「縄なえ(縄を編む)」という作業でありまして、一番「気」を使う作業でもあります。「丈夫な草履。」をコンセプトにする私は、まず、この作業に多くの「気」を使います。
そして、おもしろい事に(あまりおもしろくありませんが・・・)草履の構造上、この「縄」は、最終的には草履の裏に隠れてしまい、全く表には出て来なくなります。(草履に縄が使われていると知る人は少ないでしょう。)一番力を使い、一番気を使ったモノが最終的に一切見えなくなる・・・。ここに私は「日本のモノ作り」の真髄を感じます。「見えない所に気を使う。」「見えない所も美しい・・・。」「見えない所、だからこそ、美しく・・・。」
私が、草履作りから教わった「日本」という文化の謙虚さと誠実さのほんの一つでございます。

昔の日本のモノが優れていた理由は、そこに決して「手」を抜かなかったのでしょうね。

2009年1月3日土曜日

事始め



日本の正月って本当にいいね。と、つくづく感じる今年の正月。
クリスマスという謎のイベントから約一週間。ようやく街の雰囲気も日本らしくなってきました。
昨夜は住吉神社へ初詣に行く事ができ、今日は近所の護国神社に参ってまいりました。
今年はいつになくゆっくりと過ごさせてもらってます。正月を。
今日は毎年正月恒例になっている自分のネックレスのレストア(修理)を行いました。
趣味でやり始め、あくまでも趣味のネックレス作りもよくよく考えると12年・・・。
この分野も無限の領域ですね。やっぱりやめられません。モノ作りは。




2009年1月1日木曜日

謹賀維新年



維新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申し上げます。

色んな意味で維新が必要な年になりそうですが、
世の流れを自分の目でしっかりと見つめ、自分の意志を持ち、
大勇猛進の精神で突っ走る所存でございます。

皆様にとっても革命の年でありますように・・・