今、日本は空前の漢字ブームだという・・・
さて、
一番好きな漢字は?と聞かれたら、すかさず「無」と答える・・・。
私はこの言葉(文字)に何とも言えぬ神秘を感じずにはいられない。
これほどまでに東洋文化特有の価値観を凝縮された文字はないだろう。
この一文字には、「無い。」以上の「有る。」があるからだ。
私はその中でも、「何も無い中にある美しさ」が好きだ。
何も無い中にある美しさとは、まるで生まれたての赤ん坊のようである。
何も付けず、何も持たずに生まれて来る赤ん坊は、「無」欲であり、「無」邪気であり、そして「無」限である。沢山の「無」を纏い生まれて来る赤ん坊は可能性を多く含んだ「有」である。そして何より、美しい。
要するに「無」という言葉には、「有」の無限の可能性が含まれる。
何とも前向きで壮大な言葉なのであろうか・・・
無駄を嫌い、全てにおいて無駄を省き進化してきた日本文化にとって、この「無」という言葉の重み、深みは正に真髄だと想う。
考えれば・・・なぜ日本文化はこれほどまでに美しく進化してこれたのか?と想った時、
そこにはいつも、必ず、「無」の精神があったはずである。全く無駄の無いものだからこそ持てる美しさ・・・
例えば禅寺に漂う「無」のオーラ・・。そこには何も無い。神も居ない。無限の静けさがあるだけである。目の前に何も無いから目を開ける必要は無く、目を閉じる。するとそこは、無限の宇宙がただ広がっている・・・。ただ・・無い・・という意味が「無」では無い。
私は無限の「有」を感じるこの「無」という言葉(文字)が大好きなのである。
それともう一つの好きな理由・・・それはこの「無」という文字のデザインである。
そもそも漢字にはそれぞれに意味があり、そのモノ自体が省略化&簡略化され、そのデザインに進化してきた。はず。
そこで、ふと想った・・・
「無」とは基本的に「無い」と言う意味。ならば、モデルにするモノ自体も「無い」わけで、
「無い」モノを文字にするという事は非常に難しい作業であるはず。しかし、この「無」という文字は他の文字に負けるどころか、群を抜いて完璧なデザインで存在しており、無いはずなのに、今、目の前に有る・・・
それでは、この文字のモデルは一体何なのか?
(また私の悪い癖である。すぐに答えを探そうとする・・)
「無」をじっと見つめた・・・ただ見つめた・・・
すると不思議な事に、どんどん心から感情が消えていく・・・悠久の時間が流れた。
「これが、無心・・なのか??」気が付けば、目をつむっていた・・
すると瞼の裏にはっきりとある姿が現れた。何とそれは、かの有名なアダムスキー型UFOであった。無・・宇宙・・アダムスキー・・
なんとなくそれらは私の頭の中で線になる・・・
「そっか・・なるほど!先人達はあれを見たのね。見てしまったのね・・。」
(また私の悪い癖である。すぐに直感だけで答えを決めつける・・)
誰にもその答えはわからない・・・
そして、そもそも「答え」などと言うものは、この世には「無い」のかもしれない・・・
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